わりに滋賀のそれも在所を愛していたりします。悟りって難しいなあ

こんにちは大家です

 

この夏、ひょんなことから

幼少の頃の私をよく知っているお寺の住職とお会いすることがありました。

和尚さんと言えば身近なのですが、

とある大学の学長にもなられた方で、

本来ならなかなか気安くお会いできる方ではないです。

そもそも、私はオギャーと生まれたのは川崎らしいのですが、

記憶がスタートしたのが近江の国滋賀でした。

そのため、滋賀にも何人か親友と呼べる友達がいて、

その中の1人と毎年1回友人宅で一杯やっております。

いつもは年末年始にやっている飲み会も

今年はBBQをやりたいと私の希望で夏にやることにしました。

彼の家は農家で建て屋も200年以上のものとかで、

農業用倉庫も完備しておりトラクターやら何やら格納するところも持っています。

その庭先で始めたBBQ、話しも弾むなか、

その辺りを散歩しようということになりました。

緑の田んぼ、青い空に土の香り

幼少の時間にもどしてくれます。

全てが懐かしい

田んぼのあぜ道を二人で歩いていくと、

先ほど紹介した

和尚さん(ここではあえてこう書きます)の

お寺にたどり着きました。

立派な門を潜ると綺麗に掃き清められた庭があり、

その奥に堂々あるお堂がでんと構えていました。

 

前置きが長くなりましたが、

その和尚さんは気さくに我々を向かい入れてくれました。

私は幼少の頃から一度もまともに話をしたことがありません。

はて?何から話をしたら良いのか困っていると、

和尚さんは次々と話題を提供して、

自然とリラックスさせて貰いました。

どれくらい居ただろうか?

たぶん、2時間くらい話を聞いたあと、

そのお寺を後にしました。

その時に有難いことに、

和尚さんが書いた本や直筆の書などを頂きました。

 

書には

「本来無一物」

と書かれていました。

人は無から生まれて無で終わる

ということらしいです。

仏門に生まれてからずっと生きてこられた人が

話すとまたさらに意味が深く感じられました。

只今、本については読んでいるところ、

私の浅い知識で仏様は中道が一番だ!

と悟ったと聞いたことがあります。

真ん中ってバランスなんだろうと解釈していて、

つまり、人生はセンスなのかな?

なんて、もっと身近に感じる言葉にしています。

ちなみに、私は仏教徒ではありませんが、

日本で生まれ育ったので何らかの影響は

受けていると思いました。

和尚さんもだいぶ歳が重ねているので、

元気なうちに一度問答とかしてみたいなあ

なんて思ったりします。

 

わりに地元を気にしたりする私でした。

友人のお母さんから沢山畑の実りをお裾分けして貰いました。

 

でわ!